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父を見送りました

先日、父を無事に見送ることができました。

2025年8月、父は自宅で黄疸の症状が現れ、腹痛を訴えて救急搬送されました。

検査の結果、胆管に炎症が起こり胆汁が正常に流れなくなっていることが分かり、そのまま入院することになりました。

炎症によって狭くなった胆管にプラスチック製のステントを留置し、胆汁の流れを確保する処置を受けました。
これは、黄疸や胆管炎などの症状を改善し、重篤な状態を防ぐためのものです。

その後、症状は落ち着き8月末に退院しました。

当時、病院からは「がんの可能性は低く、感染症によるものだろう」と説明を受けていました。
しかし2025年10月初旬、再び黄疸と腹痛の症状が現れ、救急搬送されることになりました。
胆管の細胞診などの検査を受けた結果、ステージ4の胆管がんと診断され、すでに肝臓への転移も認められました。

医師からは、肝臓への転移がある状態では胆管がんを外科的に切除することは難しく、まずは抗がん剤による治療が必要だと説明を受けました。

こうして、父のがん治療が始まりました。
治療には免疫チェックポイント阻害薬である「キイトルーダ®」が使用されました。

キイトルーダとは

ウイルスや細菌などの異物に対する防御反応である免疫は、がん細胞に対してもはたらきかけます。最近、がん細胞は自身が増殖するために、免疫の一員であるT細胞に攻撃のブレーキをかける信号を送ることがわかってきました。つまり、がん細胞は免疫の機能にブレーキをかける仕組みを使って、T細胞の攻撃から逃れているのです。

ブレーキをかける信号は、がん細胞表面にあるPD-L1(ピーディーエルワン)というたんぱく質がT細胞表面のPD-1(ピーディーワン)というたんぱく質と結合することにより発信されます。

キイトルーダ®は「抗PD-1(ピーディーワン)抗体」とよばれる免疫チェックポイント阻害薬で、T細胞のPD-1(ピーディーワン)に結合することにより、がん細胞からT細胞に送られているブレーキをかける信号を遮断します。その結果、T細胞が活性化され、抗がん作用が発揮されると考えられています。

引用元:MSD株式会社 https://www.keytruda.jp/index/about/

目次

キイトルーダによる治療の開始と寄付

この「キイトルーダ®」は、2018年のノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑・京都大学特別教授らによる、免疫の働きを抑制する「PD-1」に関する基礎研究の成果が、開発につながった薬です。

キイトルーダは、従来の化学療法と併用することで、進行・切除不能な胆道がん患者の生存期間を延ばす効果が臨床試験で確認され、2024年には日本でも胆道がんに対する併用療法が承認されました。
こうした医学研究の進歩によって、以前は治療が難しかったがんにも、新たな選択肢が生まれています。

ちょうどその頃、Xでなかやまさんのポストが話題になっていました。

なかやまさんは私の娘と同じ年齢で、私にとっても非常につらい内容のポストでした。

なかやまさんのご冥福をお祈りするとともに、がんを患う父も長年にわたる基礎研究の恩恵を受けられることに感謝し、「国立がん研究センター」と「大隅基礎科学創成財団」に寄付をしました。

抗がん剤治療と父の前向きな姿勢

胆管がんで黄疸が出るのは、がんによって胆汁の通り道である胆管が狭くなったり、塞がったりすることで、胆汁が正常に流れなくなるためです。
父の場合、抗がん剤治療を始める前に、まず胆管の炎症を落ち着かせる必要がありました。

そして、ようやく抗がん剤治療が開始されました。
初回のみ入院しての投薬となりました。

父は抗がん剤治療で髪の毛が抜けると思い、あらかじめ帽子を準備していました。
しかし幸いなことに脱毛はなく、治療による目立った副作用に苦しむこともありませんでした。
副作用を抑える薬の効果もあったのかもしれません。

父は自分の病気についてインターネットで徹底的に調べ、治療にも非常に前向きに取り組んでいました。
病院へお見舞いに行くと、調べた病気のことや治療について、私に詳しく説明してくれました。

退院後の父の生活

そして退院。

父は退院した翌日には、身の回りの物の多くを処分し、寝室を2階から1階へ移し、介護用ベッドを準備しました。

私の父は、遊びも仕事もいつも全力投球で、活力にあふれた人でした。
残された時間がそれほど長くないと悟っていたのでしょうか。

それからというもの、普段の3倍くらいの勢いで活動し始めました。
旅行や遠出、ゴルフ、釣りなど、とにかくじっとしていません。
多いときには、1週間に3回も旅行や遠出をすることがありました。

体調の悪い父を放っておくわけにもいかず、一緒に行動する母は大変そうでした。
「体調も悪いんやし、もういい加減遠出するのはやめたら?」
そう言いたい気持ちを、私はぐっとこらえていました。

2026年春以降、繰り返す入退院

2026年春。
父は頻繁に体調を崩すようになり、入退院を繰り返すようになりました。
それでも、退院するたびに「体力をつけたい」とフィットネスに申し込むなど、常に前を向いていました。

しかし入院を繰り返すたびに、父は目に見えて弱っていきました。
背中が痛むようで、病院へお見舞いに行くたびに、1時間ほどマッサージをしていました。

マッサージをしながら父の背中に触れると、あんなにたくましかった背中からは肉が落ち、骨が浮き出てゴツゴツしていました。
その姿を見るのは本当につらいものでした。

2026年8月、最後の食事会

積極的に、そして前向きに治療に取り組んでいた父でしたが、残念ながら抗がん剤の効果は得られていませんでした。
それでも他に治療法がないかを探るため、8月にゲノム検査(がん遺伝子パネル検査)を受けました。

※がん遺伝子パネル検査とは、がん細胞に起きている遺伝子の変化を一度に多数調べ、その人のがんに合った治療法や薬を探すための検査です。

我が家は会社を経営しているため、8月中旬には父母と一緒に食事会を開き、今後の会社経営について話し合いました。
振り返れば、これが父との最後の食事になりました。

父は体調不良を抱えながらも、相変わらずお出かけや競馬を楽しみ、8月下旬まで現場に出て仕事を続けていました。
しかし8月末、自宅の浴室で倒れ、救急搬送されて再び入院することになりました。

2026年9月、治療の終了と緩和ケアへの転院

父が入院していた9月半ば、ゲノム検査の結果が出ました。
結果は残念ながら「これ以上、有効な治療法が見つからない」というものでした。

この頃から父にはせん妄の症状が現れ始めました。

また、父が入院していたのは急性期病院だったため、長期入院はできないと病院から告げられました。
自宅で最期の時間を過ごすか、緩和ケアセンターへ転院するか、私たちはその選択を迫られました。

ゲノム検査の結果と緩和ケアセンターへの転院について、父に説明するのは私の役目となりました。

この頃、父はもう話すことができなくなっていました。
それでも私が「ゲノム検査の結果が出たで」と声をかけると、父は体を起こし真剣な目で私の話を聞こうと必死でした。

検査結果を伝えると、父は悲しそうな表情を浮かべました。
そして緩和ケアセンターへ転院することを了承してくれました。

9月末、緩和ケアセンターへ転院した頃には、父はもう目を開けることも、話すこともできなくなっていました。

先生からは、「耳は最後まで聞こえているといわれていますので、たくさん話しかけてあげてくださいね」と言われました。
その言葉を胸に私はお見舞いに行くたびに父に話しかけました。

これまでの感謝の気持ち。
そして、会社のことはみんなで力を合わせて頑張っていくので安心してほしいということ。
これまで面と向かって言えなかったけれど、父に伝えたいことを何度も言葉にしました。

8月末まで仕事を続け、本人が望んでいたとおり、ほぼ生涯現役を貫いた父。
緩和ケアセンターに転院してからも、たくさんの方がお見舞いに駆けつけてくださいました。
最後まで多くの人に囲まれ、父は幸せだったのではないかと思います。

10月初め、父との最後のお別れ

父は会社の代表取締役を務めていたため、別れが近づく中、私たちは何度も病院へ足を運びながら、代表者の変更や社葬の準備なども並行して進めなければならず、慌ただしい日々が続きました。

父が喜寿を迎えた際、私と妹からのお祝いとして、写真スタジオでの記念撮影をプレゼントしました。
その時に撮影した写真を遺影に使う事にしました。
写真を撮っておいて本当に良かったと思います。

10月初め、多くの方々にご参列いただき盛大な社葬で父を見送ることができました。
承認欲求がちょっと強めだった父。
きっと空の上で満足してくれていると思います。

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