学生のころ私はジャッキーチェンの大ファンだった。
最近はあまり香港映画を見なくなってしまったけど。
成家班(ジャッキーチェンのスタントチーム)に入るために器械体操を始め、成家班に入るために広東語と北京語を学んだ。若いってすごい。
これ以上もう無理ってくらい香港への思いを募らせていた頃、家族旅行で初めて海外、しかも香港に行くことになった。
テンション爆上がりの私は手に付けられないくらい興奮状態だったと思う。
今なら考えられない事だけど、30年遡った当時、ジャッキーは日本人ファンが訪ねて来ると快く会ってくれるという事はファンの間で有名だった。
で、興奮状態の私は事もあろうに「ジャッキーに会う事」を初めての海外旅行の目的に設定した。
若いって怖い。
当記事はその初の海外旅行で果たしてジャッキーに会えるのか?というジャッキーへの道の記録です。
初日と2日目は香港観光ツアー
お決まりのビクトリアピークで香港の景色を見ました。
感動的に綺麗で、ああ、憧れの香港に来たんだなと実感がわきました。
ビクトリアピークで写した家族の写真をプリントされたお高いお皿を買いました。
なかば押し売りみたいなお皿を大喜びで買いました。
実家にずっと飾っています。
タイガーバームガーデンにも行きました。
タイガーバームガーデンは、軟膏薬タイガーバームの売り上げで巨富を得た香港の富豪胡兄弟が1935年に香港島に建設した私的別荘。
1950年代から一般公開されていますが、2000年に閉鎖されました。
70年代から90年代に香港ツアーに参加すれば必ずといって言いくらい連れて行かれる水上レストランのジャンボ。
ド派手な外観がいかにも香港!という感じで、香港観光を象徴するレストランでした。
ゲートからわざわざ渡し舟で行く演出もワクワク感があって楽しかった。
けれど、逃亡犯条例改正案に始まったデモと新型コロナの影響を受け経営が厳しくなり、2020年に休業が決定。
取り壊しはギリ免れ、オーシャンパークに移設される模様です。
あとはネイザンロードを散策したり。
↓新装開店。ド派手で香港ぽくて好き。
ジャッキーへの道①~ジャッキーが経営するタレントショップに行く
3泊4日の香港ツアー。
3日目は1日フリータイムだったので、母と妹はショッピング、私は一人で出歩きたいと言ったのですが、一人は心配だからと言って父と二人で観光に。
当時日本ではタレントショップが大ブームでした。
京都の嵐山なんてタレントショップだらけ。東京の原宿なんかすごかったんじゃないかな。
なので香港に行く日本人向けなのか、ジャッキーも尖沙咀の九龍公園沿いの彌敦道(ネイザンロード)に面した場所にショップを構えていました。(うろ覚え。たぶん。)
ジャッキーロゴが入ったアパレルを扱う小さなショップだったのですが、どうしても行きたくて。
↓別の場所にあるジャッキー経営のお店にて。当時お流行りのソバージュが今は恥ずかしい・・・。
ポロシャツを買い、会計の際お店のお兄さんに「私ジャッキーに会いたいんよね」と話すと、
「僕ジャッキーの事務所の電話番号知ってるから教えてあげるよ!」と言うではないですか。
え?いいの?
「日本語ができるスタッフがいるから電話しても大丈夫だよ」
だって。
すごいな香港。今ではありえん話だろうけど。
↓右のお兄さんが電話番号を教えてくれた
ジャッキーへの道②~廟でおみくじを引く
香港には香港ディズニーランドと香港海洋公園(Ocean Park)という2大テーマパークがありますが、香港初のテーマパークは「茘園(Lai Yuen)」です。
「茘園(Lai Yuen)」遊園地と動物園があり、宋の時代を模したテーマパーク「宋城」が併設されていました。
(※残念ながら中国返還直前に閉鎖)
香港に行ったら絶対に行きたかった「宋城」にまず観光に行くことに。
宋城の中に廟があったので御神籤をひきました。
香港の御神籤には1番から100番までの番号がふってあります。
1番良いのはもちろん1番ですが、引き当てられるのは宝くじに当たるくらいの確率といわれています。
が。
初めて香港に行き初めて香港の御神籤をひき、何と1番に当たってしまいました。
これが私の人生のピークだったのか。
今も大切に保管しているのですが紛失すると辛いので、ここに画像をアップしておきます。
1番をひいたから、もしかしてジャッキーに本当に会えるんじゃないだろうか・・・?
と思い、お店のお兄さんがくれた電話番号に電話してみようと決心したのです。
ジャッキーへの道③~ジャッキーの事務所に電話する
ショップのお兄さんが教えてくれた電話番号にかけてみました。
若いってすごいね。今の私ならかける勇気ないわ。
「私日本から来たんですけど、ジャッキーに会いたいです。」
英語もろくにしゃべれないから、ストレートな表現しかできない。
この記事を書きながら当時の私を客観的に振り返り、マジ狂ってたなと感じています。
「ちょっとまってね、日本語ができるスタッフとかわるね~」と言われ、日本語ができるスタッフが電話口に。
「日本のファンの方?あなたラッキーよ!
今日は夕方6時ごろならゴールデンハーベストのスタジオにジャッキーいるよ。
明日は海外に行っちゃうから今日行って!」
私に会いに行けと・・・?
スケジュールと居場所まで教えてくれるの・・・?
そしてゴールデンスタジオの住所を教えてくれた。
でも、お姉さんが教えてくれなくても、所在地なんて忘れたくても忘れられないくらい完璧に覚えていた。
私の憧れの地だったから。
ちなみにゴールデンハーベスト(嘉禾電影有限公司)とは、1970年にレイモンド・チョウ(鄒文懐)が、レナード・ホー(何冠昌)やショウ・ブラザーズのスターだったジミー・ウォングらと共に設立した映画会社。
ブルース・リー、ホイ兄弟、サモハンキンポー、ユン・ピョウ、ジェット・リーなどなど、香港を代表する大俳優たちが所属していた超超超超超すごい映画会社だ。語彙力。
香港映画好きでなくても一度は見たことがあるのではないでしょうか。
ドン、ドン、ドン、ドン、パパパパー、パパパー、ピロピロピロピロウィーーーーー
というやつです。これがゴールデンハーベストの映画の心ときめくオープニング。
高校生のころ学校に行くのが本当に嫌で。
毎朝「プロジェクトA」のオープニングをビデオで見て気分を上げてから登校するという事を毎日繰り返していました。
どんなJKよ。
「プロジェクトA」が無かったら、私は高校中退してたかも。
話はそれましたが。
中国返還後香港映画は停滞し、一世風靡したゴールデンハーベストも映画製作から一旦撤退しています。
事務所のお姉さんが私に行ってこいと言ったゴールデンスタジオは、残念ながら1998年に閉鎖。
ジャッキーへの道④~ゴールデンスタジオに夕方6時に行く
事務所のお姉さんの言葉を本気に受取り、ほんとに来ちゃったよゴールデンスタジオへ。
勝手に中に入る。
人にすれ違うたび「ジャッキーに会いたいんですけど、どこにいますか?」と聞くと「あっち」と言われる。
5人目あたりに声をかけた人が「あの建物の中にいるから入ってみな」と言われたので入る。
事務所棟のような建物に入ると、たくさんの人が忙しそうに動き回っていた。
「あの、日本から来たんですけどジャッキーに会いたいんです」と声をかけると、
「あーはいはい、そこの椅子に座ってて~ジャッキーよんでくるから」と言われる。
マジで・・・?
部屋のすみっこにおいてある椅子に腰かけて辺りを見渡す。
火星さんや牛馬さんやらジャッキー映画でお馴染みの面々があちこちにいらっしゃって、緊張して顔がどんどんこわばってきて頭が真っ白になっていた私に突然、
「こんにちは!来てくれてありがとう!外で写真とろう!写真!カメラある?」と言いながら、めちゃくちゃ大きくて厚い手で握手された。
ジャッキーだった。
ジャッキーへの道⑤~最終章
夢だったのではなかろうか。
30年経った今でも、あれはツアーバスの中で居眠りしていた時に見た夢ではなかろうかと思う時がある。
中学の頃から憧れて憧れてずっと憧れていた大スターだった。
ジャッキーは超多忙なのにも関わらず、突然訪れてきた日本人ファンに対してとても紳士で優しくて笑顔だった。
私は顔がこわばって笑う事さえできなかったし、何もしゃべる事ができなかった。
へこたれそうな時もジャッキーの映画に勇気をたくさんもらって、何とか辛い事も乗り越える事ができた。
それを伝えたかったのに。
呆然自失とはこういう事かと知った。
当時ジャッキーは「プロジェクトイーグル」という映画を撮影中で、恐らくスペインかモロッコに行く準備をされて大忙しだったと思う。本当に申し訳ない。
こうして記事にまとめてみると、私が初めて行った香港で訪れた場所は全て無くなっている事に気付きました。
それくらいこの30年、香港の変化は大きすぎる。まさに激動だと思います。
旅行の後、私は無事大学に進学し中国語学科に入学しました。
普通話(北京語)の他にも上海語、福建語、広東語、チベット語なんかも勉強できる環境でした。
もちろん広東語の授業を取りました。
授業ではプロジェクトAや香港映画のビデオを見て台詞を文字起こしし、台詞を言わされるというなかなかハードな内容だったので、50人以上が選択した授業だったのに次々と脱落し、最後に残ったのは8人だった。
でもそんな厳しい授業が大好きでした。
ジャッキー映画に出逢わなかったら今の私は絶対にないし、いくら感謝しても足りない。
あの自由な時代の香港と香港映画が懐かしい。
プロジェクトAの次に大好きな「奇蹟」。
ジャッキー主演・監督作品。
フランク・キャプラ監督の名作『一日だけの淑女』及びそのリメイク作『ポケット一杯の幸福』を、舞台を20世紀初頭の香港に移してリメイクした娯楽アクション大作。
アクションは他作品よりは少な目で、ストーリー重視、悪人が出てこずほのぼのとした珍しい作品。
そして今は亡きアニタ・ムイが本当に素敵。