普段はどんな形のお餅を食べていますか?
我が家は専ら丸餅です。
角餅を敢えて買うことってあったかなあ??
いや、ないわ。
それがまさか、「角餅が基本」という地域があるだなんて思いもしませんでした。
先日ホームベーカリーでお正月用のお餅つきをした記事をアップしました。
その記事中で関西と関東でお餅の形が違う事についてチラっと触れました。
ちょうど先日、私の大好きな番組「チコちゃんに叱られる!」でその内容が放送されていたので、まとめておこうと思います。
なぜ関東が角餅で関西が丸餅なのか。
結論から言うと、
江戸の人口が多かったから
だそうです。
どういうことでしょう。
(以下、伝承料理研究家 奥村彪生先生のご説明からです)
そもそもお餅は丸いものだった
古い時代からお米には稲の霊魂「稲魂(いなだま)」が宿っている聖なるものと伝えられてきました。
その魂を形にしたのが丸餅です。
ある人が丸いお餅を的にして矢を射ると、そのお餅は白い鳥に変わり飛び去ってしまいました。
その後その土地には災いが降りかかります。
農民は死に絶え、水田は荒れ果てました。
~奈良時代にまとめられた『豊後国風土記』より
聖なる丸餅「鏡餅
丸い餅が神聖なものと現代まで受け継がれているのですが、
その聖なる丸餅こそが
「鏡餅」です。
室町時代、聖なる鏡餅の分身である丸餅をお雑煮に入れて食べておりました。
しかし、そのお雑煮を食べていたのは、京都の武家、公家、そしてお寺に限定。
お雑煮の普及
江戸中期になると庶民の暮らしが豊かになり、京都では庶民も丸餅のお雑煮を食べられるようになりました。
それが徐々に西日本、東日本へと伝わります。
そう、元々お雑煮のお餅は丸かったのです。
そして、江戸庶民の間でも、丸餅が入った雑煮で新年を祝う習慣が広まりました。
餅搗きが隣へ来たと云子哉
(もちつきが となりへきたと いうこかな)
小林一茶の句より
この句に出てくる「餅搗き(もちつき)」は、賃つき餅屋。
賃つき餅屋とは、臼やきねを持参して、お客さんの家のお米で餅をついて丸めてあげる出張餅つき屋さんのことです。
当時の江戸庶民が暮らす長屋は4畳半一間。
お餅をつく場所も道具を置く場所もありません。
そこでこういう商売が誕生したんですねえ。
江戸の人口増加
しかし江戸の人口増加に伴い注文が増え、餅つき屋さんは多忙になり、いちいちお餅を丸めていると追いつかなくなりました。
そこで、人口が多い江戸で合理化を図るため、板にのしたお餅をお客さんに渡し、お客さんの方でカットしてもらうという方法を打ち出したのです。
四角いお餅の誕生です
その結果、関ケ原を境に、京都の影響を受けた西側と江戸の影響を受けた東側でお餅の形が分かれたまま現在に至るそうです。
日本列島お雑煮文化圏のマップを見ると一目瞭然!
関ケ原ラインできれいに丸餅と角餅が分かれています。
まとめ~関ケ原が食文化の境界線なのかも
関ヶ原と言えば、日清どん兵衛の味の境界線も関ヶ原でしたね。
そんなわけで我が家は今年も年末に丸餅をつきますよ。
皆さんのお正月のお餅はどんな形ですか?
では。
自家製餅はマジでうまし。シロカのホームベーカリーなら9000円弱でお餅もパンもOK